2011年06月12日

4月24日講演 肥田舜太郎医師と福島の女性 (文字おこし有)

4月24日広島で行われた肥田舜太郎医師の講演です。


肥田舜太郎医師は軍医少尉として
広島陸軍病院に赴任し
1945年8月6日、被爆。
その後、たくさんの被爆者の救援にあたりました。
90歳を越えた現在でも被爆の実相を語り、
核兵器廃絶を訴えています。

講演を文字に書き起こしたものは、以下になります。

★ここから

皆さん、こんにちは

私は今ご紹介いただいた、肥田舜太郎という内科の医者です

94歳ですから、あんまり、確かなように

話すことが出来ないかもしれませんが、

皆さんに、まだ、みんなが教えられていない、

広島長崎原爆の本当の被害の中身を、

短い時間ですが、簡単に分かるようにお知らせをします

ご承知のように原子爆弾は放射線のエネルギーを元にした爆弾です

今までの日本、世界中の人が持っていた

どんな兵器とも全く違う、

放射線というものを燃料に使って爆発させる

ですから、その被害を受けた人は、

やけどをしたり強い爆風で吹っ飛ばされたりする

被害の他に放射線が人間の体を色々と壊します

直接爆発した下にいた人は、いわゆる、あのピカを浴びた人は、

頭の毛が抜けたり血を吐いたり、

体に他の病気では出ない紫色の斑点が出たりという、

特殊な5つの症状で直後に、

頭の上で爆発した放射線を浴びた人はたくさん死にました

ところが、放射線は爆発したその町に残っていて、

1つは、地面の上に降り積もっていた放射線の粒子、

粒を人間が触ったり歩いて飛び立ったホコリとして吸い込む

また、水源地が侵されて水の中にたくさんあるのを飲む

それから、あのきのこ雲という舞い上がったあの雲は、

爆発の時に酸化しなかった生のままの

プルトニウムとかウラニウムという、

放射線の粒があの中にいっぱい詰まっていて、

それがいっぺん成層圏まで舞い上がります

しかし小さな粒でも重みがありますから、降ってくる

だから後から親父を探しに街に入った

数日後に妹や弟の様子を見に入った、

自分は爆発とも、なんの関係の無い人が後から街へ入ったために

広島でも長崎でも今の医学では

診断の出来ない不思議な病気がおこって大変苦しみました

大部分の被ばく者は、ちょうど今から

10年ぐらい前から今もそうですが、

50年、60年経ってから癌や白血病という悪性の病気で、

今、どんどん死んでいます

つまり、戦争の終りに被ばくをした人が、

60年も生きて、その生きてる間も、

健康で過ごせたのではなくて、

しょっちゅうお医者さんに行ったり入退院を繰り返す

だけども病気の本体はよくからない

そういう事で苦しんだ人が最後はがんや

白血病で命を取られる、

放射線はそういう性質を持っているんです

ところが落としたアメリカは、直接ピカを浴びて、

やけどをしたり、大怪我をした人たちが

そういう強い放射線で殺される、

これは隠すことが出来ないんで、そのまんま認めたんですね

ところが後から街へ入った人が、

今の医学ではわからない、いろんな病気で苦しんだ

ということを聞いても、それはその患者を診た医者が、

原爆のことを悪く言うためにデマを飛ばしているんであって

体の中に入る僅かな放射線は全然害がない、

ということを、広島に爆弾を落としてから

ちょうど1ヶ月と2日目、9月8日に

アメリカの、あの爆弾を作ったグループの一番トップの人から

2番目という偉い軍人が来て

まだマッカーサーが日本へ上陸する前に

焼け残った東京の帝国ホテルのロビーに、

外国から来ているジャーナリストを集めて

つまり微量な放射線は体に入っても

なんにも害はないんだということを、世界に向けて放送をし、

日本の政府に向けてもそれを承知しろと

で、広島長崎で被害をうけた被ばく者は、

アメリカの軍事機密である原子爆弾の秘密の

一部を自分の体で知ったわけだから

これはアメリカの軍事機密だから

絶対に人にしゃべってはいけない、それから書いて残してもいけない、

もちろん写真や絵で書いてもいけない、もし違反した物は厳罰に処すと、

占領政策の最初にそれを日本で宣言したんですね

だから、広島長崎で被ばくをして、兄弟も親もみんな死んじゃった、

財産も亡くなった、行き場もない、そこら辺に

倒れて寝っ転がっていたたくさんの被ばく者が、

私は広島で長崎で原爆を浴びてとても今困っています

助けて下さいっていうことが言えなくなった

これはアメリカが日本に原爆を投下したことも

大変な罪悪ですけれども、それにもまして、

戦争が終わって、自分の落とした爆弾で、

医学で治しようもないという大変な病気をおっている被ばく者に

生きる道を閉ざすような大変悪いことをアメリカはしました

それは自分だけが持っている原爆という新しい爆弾の秘密が

よその国に漏れることを非常に恐れたからです

みんなも知ってるように、

アメリカ軍は戦争が終わってから7年間、

アメリカの鉄砲を持った兵隊で、実際に軍事占領をしました

私たちは戦争で負けた上に、食べ物もない、

うちも焼けてない、という中から

日本の国を新しく作るために一生懸命働きました

私は医者ですから、自然に被ばく者をたくさん見ることになります

日本の医者の殆どはアメリカの言う事をそのまま信じて、

後から街へ入った被ばく者が、かったるくて動くことが出来ない、

他はなんともないんだけども、元気で働いていたら、

ある日突然、大変なダルさがおこって会社へ行けなくなった

3日も4日も続いてやっと軽くなったから会社に行ったら、

またその翌月同じことが起こって、

要するに会社や工場で働き続けることが出来ない

という患者がいっぱい出たんですね

ところが日本の医者は、

大学の教授から街の先生から、とくに広島長崎の医者は

みんなそうでしたが、アメリカからとくに

被ばく者を一生懸命診るような医者は、

なにかアメリカに含むところがあると考えると、睨む

お前たちはそういう意味でアメリカから目をつけると言われて、

被ばく者を親切に診るということも困難になった

つまり、他国の軍隊に占領されて、

自分の国の政府も役人も何の役にも立たなくなった

そういう状態に、私たち日本人は一度、7年間苦しみを味わいました

私は銀座で、酔っ払ったアメリカの兵隊が数人で

公然の場所で、女性をレイプする現場を見たことがあります

日本の警官がそばに立ってても、ちょっとでも手をつければ、

殴り殺される、そういう占領を我々は受けたのです

しかも、今の医学では全く診断も治療もできない、

新しい原爆病という病気、この病気の患者を研究をすることも、

日本の学者は禁じられました

日本の政府は、困っている被ばく者を

なんとか生活させるために法律を作ってなんとか

援護をするということも禁じられました

彼等は日本、アメリカの軍事機密を知っている

アメリカから見れば、まだ敵性の国民なんだと

それを日本の政府が特別に面倒をみることは許さない、

こういう占領が続いたんです

でもそれは7年前に終わりました、しかし、

その直後あと、皆も知っている日米安保条約という

アメリカが起こす戦争には日本が全力を上げてこれを助ける

そういう今の安保条約という条約ができて、日本の政府は今でも、

日本を守ってくれるアメリカの核兵器が

不利になるような運動は一切してはいけない

まだ今の政府はそういう方針を持っています

私が皆さんに言いたいのは、放射線の、

皆さんは今度東北で福島の原発が事故を起こして、

たくさんの人が今、うちへも帰れない、

せっかくいたら外へ出て行けって言われるような目に今あってます

原発から漏れてくる、放射線も、

原子爆弾でみんなが浴びる放射線も、

放射線はおんなじものなんです

全然違わないんです

プルトニウムとウランという2つの放射線分子を燃料にして

熱を作って電気を起こしている

だから事故を起こしてこれを止められない

皆さんはエネルギーを沢山知っています

一番、目にするのは火ですね

マッチをする、あるいはライターなどの火です、これはエネルギーですね

ところがこれはマッチの火はもみ消せば消える

ライターもスイッチをこすれば消えてしまいますね

あらゆるエネルギーは、他のエネルギーは、消すことが出来ます

ところが放射線のエネルギーは絶対に消すことができないんですね

あれだけの事故を起こしたあの原子力発電所も、

あそこで燃やしたウラニウムという原料がそのまま熱を持って

燃え続けるのを消すことが出来ないんです、人間には

そういう難しいエネルギーを普通にはそこら辺にはないのを、

無理やり特別な化学の方法で無理やり引っ張り出した

引っ張り出したことはいいけれども、

最初に使ったのは人殺しの爆弾に使ったと

そしてその機械が戦争が終われば、

工場はそれを、もう作り続ける必要が無くなっちゃう、

なんとか使えないかって言うんで、無理やり電気を起こす機械にして

世界に売ったわけですね

それを買った、買わされた日本が飛びついて、

それで電気を起こし始めた。事故が起きなけりゃいいですよ

でも今度みたいにいっぺん事故が起こったら、

もうどうしようもないんだ、あれ。埋めちゃうわけにもいかん

海へ放り込むわけにもいかん。どうしようもないんだ

でっぱなしですあれ、放射線が。だからあれはごくわずかだけれども、

ずーっと毎日朝から晩まであの工場の屋根から上へ空中へ出て行く

水の中にも出る。それはなくなりませんからね

貯まるんです。どんどんどんどん

だから東北のあの工場の真上に、

どんどん出る放射線はそのまま風に乗って好きなとこへ行きます

そして地面に降る。降ったら地面に留まって、

そこはもうお米も作れない。商売には使えません

第一、そのそばへいけば被ばくをします

そういうふうに

日本の国が東北という部分だけ破壊されてしまったと

極端に言えばそういう状態が今起こってる

ところがテレビに出てきて、知ったような解説をする学者がたくさんいます

彼等は放射線を作る側、あの放射線を作るのは簡単には

出来ないんですがね、だからアメリカから今ウラニウムを買ってきて、

やってるわけだけれども、

あれを作る側の学問をやってきている人が出てるんですね

ところがこの放射線が人間にあたったときに、

それが人間がどんな変化を起こすかってのは

何にも知らないんです、彼等は

だから直ちに心配なことはおこらない

そりゃそうですよ

今日被ばくしたら明日病気になる、そんなことはないんだ

でももう現に東北では、下痢が始まっています

さっきここに出られた被ばく者の方が、

お母さんも、妹も、弟も自分も下痢が始まったとおっしゃいました

最初の症状の一つに下痢が始まります。

で、これは今の普通のお薬では止まりません

だから私が一番心配しているのは、

あの今東北で本当に苦しみぬいている、

それで長く住んでいるうちから遠い不便なところへ行って、

隣の人とはボール紙一枚で仕切られたところで、

もう1ヶ月以上生活してるんですねえ

で、この人達が舐めた苦しみは、今のところは、

不便なところで寝てるっていうことで、年寄りや病人が

いろいろ死なれたり、病気が悪くなったりしておられるけれども

元気なのも含めて、放射線の病気が始まってくるのは

恐らく、この秋から来年の春にかけてたくさん出てくるだろうと

私は想像しています

でも、仮に病気になった人を私の病院に入れて、

この人の下痢は放射線の影響によるものですということを

証明する学問がまだないんです

これが泣き所です。だから、人をああいう目に遭わせて

殺した側は完全犯罪なんですね

30年後にがんで死んで、私はあの時にあの被ばくをしたから、

こんな病気になったんだと、なんぼ言っても証拠を上げられない

今の医学はそれを見つけるところまで行ってない

理由は簡単なんです。あの放射線の粒の大きさはね、

皆さんが持っている定規の一番小さな目盛りは、

1ミリメートルです

その1ミリメートルの60億分の1というのが、

ウラニウムの粒の直径なんです

これが体の中に入って悪さをする

今の医学は人間の体を分解して、細胞という一番小さな

命の単位のところで病気を見つける

これを60億分の1のところで病気を起こしているということは

それを見つける方法は持っていない

だから、治す方法もなければ、消すこともできないという

特別なエネルギーをなんで選んで日本人の国の中で

電気を起こさなきゃならないのかっていうことなんです

みんな知らないから、あの方がたくさん電気が起こるんだとか

他のやつより、地球の空を暖かくしない、

温暖化を防ぐとかうまいこと言われて、

なんとなくそれで出来る電気の恩恵を受けて、のうのうとしているけれども

敦賀の原発の一つが今もし、事故を起こせば

広島はひとたまりもなく、その影響の中に入ります

だから、私たちはもちろん、核兵器はもう二度と

もう作ってもいけないし、使ってもいけないという運動をします

だけども、こうなってみれば、原発だってもう許すことはできない

私たちの仲間の日本人がひとたび事故を起こせば、

何百万人という人が、今、東北で苦しむ

あの姿は皆さんの明日ではないということは、

誰も言いきれない

だから、放射線というものはまだ、人間が自由にコントロールできない

エネルギーなんですから、これはもう、掘り出すこともやめる

もちろん、これを使う事も止めるということが、

人類が全体で長生きするためには、世界中がこれをやらなければいけない

政府は、あの原発の事故を起こしたところから

20キロ30キロのところの人は、

悪いけど立ち退いて下さいって、やっと言いましたね

アメリカはこのニュースを聞いたときに、日本にいるアメリカ人に

80キロ離れたところに逃げろということを、アメリカは言ってるんですね

もう、翌日それを発表してる

それから、フランスもドイツも日本に派遣している特派員、

これは12日の朝には本国から大阪まで逃げろと、

東京の特派員は全部そう言われています

つまり、それだけ逃げていなければ、お前の将来は危ないよ

ということを、フランスもドイツも

アメリカもよく知ってるから

ちゃんとそういう放送をするんですね

日本政府は一月経ってやっと、20キロ30キロのところを

おそるおそるあんた、向こう行って下さい

なんてとぼけたことをやってる。

つまり、なんにも知らないんですよ、日本の政府は

金儲けだけ考えてる

だから、私は今日わざわざ、広島へここへ来て、

この中には山口県の新しく出来る原発反対に強力をしている

若い方がいっぱいいると聞きました

私も広島陸軍病院にいたときに、上関の婦人たちの

健康診断を頼まれて、一度、当時は村でしたけど、

あそこへ行ったことがあります

穏やかな非常に景色のいい、お魚のおいしいところですね

その漁場を追われて、上関の人は今、本当に真剣になって、

中電くるな、電気会社に反抗して戦っています

とうとう力負けして、なんかだんだん

向こうの方が有利になってるようですが、今度の事件があったので

会社が強引に進めるのをちょっと休んでるようですね

だから、これからの日本の国民の戦い方一つで

日本の国から原発は追い出すことが、私は出来ると思っています

そして、そういう力を集めて核兵器を絶対に世界からなくす

皆さんは、のんきな顔をしてるけど、今の政府、

民主党の中にも日本が原爆を持てという議員が

もう60%を超えてるんです

日本が核兵器を持って、もう一度よその国と

ケンカをするということを考えている議員が全体の議員の中で

50%をもう超えてるんですね

だから、皆さんがこれからの自分たちの将来、

これから皆さんが持つ子供、孫、その上に放射線の恐ろしさや

不安を絶対に感じさせないような国に作りかえる

これが私は一番大切なことだと思っています

どうも、長いこと御苦労さまでした





福島の女性


こんにちは、大塚あいです

私は3月11日まで福島県双葉郡川内村の住人でした

今、30キロ圏内のまるの中にすっぽり入るところです


12年前、1999年から自給自足の生活をしたいと思いまして

選んだ農場がたまたま福島県でした

とてもそこに惹かれたので、岡山から研修に行きました

そして、そのあと東北の美しい自然が気に入って、

そのままそこに住みつくことになりました

住みついた場所は、電気も電話も通じていない、

もちろん、ガスや水道も通ってない山の中でした

そこにまず、自分で小さな小屋を作り、田んぼや畑で

お米や野菜を育てて暮らし始めました

そのあとで、村の大工さんと知り合って、

大工になりたいという思いを持っていたので、

4年間大工修行をしながら田んぼや畑を作るという暮らしをしてました

そのあとで、横浜で設計士をしていた夫と知り合って、

今度は2人で大工を卒業したあとで、

自分たちで20坪ぐらいの木と土壁の家を作りました

新しく作った家には、夫が電気が欲しいと言って、

ソーラー発電を取り入れました。電線がきていないところなので

ここと同じシステムです

畑にパネルを置いて、そこからできた電気をバッテリーに溜めて

バッテリーに入ってる分だけを使いながら生活する

だから、くもりや雨が続く時はちょっと、

電気を抑えながら暮らすという、

お天気にあわせたような暮らしをしていました

そこはとても自然の美しいところで、

場所が気に入って住みだしたんですけれども

住んですぐ、原発が20キロのところにあると気付きました

そして、チェルノブイリで起こったことを本で読んで、

ことの大きさということがわかって、そこに住みながら

自分に出来る行動をとってきました

そこの川内村は原発城下町と呼ばれてまして

経済を原発関連の仕事に就いている人がたくさんいました

また、村としても助成金をたくさん貰ってました

その中で、原発が危ないよって声を上げることは

タブーのような、ちょっと重い空気を感じてました

それでも、村で住む人達は肌で原発が

危ないということを知ってました

なぜなら、原発に働きに行った人が病気で亡くなるからです

私と同じ部落に住んでいたおじいちゃん、おばあちゃんには

大事なひとり息子がいました

その息子さんは若い時に亡くなりました

彼の仕事は原発関連の仕事でした

また2年ほど前、村で人一倍元気な村づくりに本当に貢献してた

いいおじさんがいたんですけども、その人があっという間に

急病で亡くなりました

その方も仕事の一部で原発関連の下請けの仕事をしてました

そんな話をいくつも聞きながら、住んできました

村の人達は危ないって気がついてたけども、

いらないと、言い切れない状況にありました

そんな中で私はもし、もし、原発で働いてる人が

同じ電気を作る仕事だったらば、ソーラーパネルを作る工場だったら

どんなにいいだろうか

燃料電池やリチウムイオン電池とか、そんな新しい

自然エネルギーの工場だったらどんなにいいだろう、

同じ電気を作る仕事で、そう思いました。思っていました

そんな中3月11日地震が起こり、

今まで心配していたことが本当に起こってしまいました

地震は震度6強だったので、家はずいぶん揺れて

揺れたんですけど、私が建てた家はうまく揺れてくれる

家だったせいか、あんまり被害がありませんでした

そして、割れたものを片づけたぐらいで、あとは

元々ライフラインのないところですから、停電することもなく

自分たちで掘った井戸から水をくみ上げて

五右衛門風呂を薪で沸かし、薪をくべてごはんを作り、

いつもの通り、夕方、生活を再開しました

そこまでが、そこまでが、私が川内村で暮らしていた時間でした

暗くなったころに、まず冷却水ストップのニュースが、

ニュースの中でほんのちょっとです

すごく大きなことなのに、ちょっとだけニュースで聞こえました

なにか起こってるんだ、と思いました

それから1、2時間後、3キロ圏内避難指示という

ニュースが入ってきて夫と一緒に避難しよう

何が起こるかわからないから

少し離れたところまで行って寝よう、といって

パジャマを着せた子ども、5歳と1歳の子供がいるんですが

子どもを車の後ろにふとんを敷いて乗せて、

とりあえずの荷物、とりあえず、とりあえずって、

自分に言い聞かせながら家を出ました

そして、40キロ離れたとこまで行って、一晩明かし、

次の日は100キロ離れた会津の辺まで行って、様子を

見てましたが、一向に収まる気配は無く

水素爆発の手間のころでしたが、私はそのとき

後ろ髪ひかれて、自分が住んでた場所だけは

きっと大丈夫って、避難を決められなかったんですね

でも、夫は小さい子もいるんだから、絶対に川内には

帰れないから、離れようっていうんですね

頭ではわかってるんです。けども、心と体が動かないんですね

突然断ち切られて、自分の家から出てきて

しばらく、ぼーっと会津若松の街で過ごした後、

あるときに、あ、そうかって、

私の住んでたあの場所にも放射能きちゃったんだって

認めた瞬間があって、とても悲しくって、それから

とりあえず、しばらく滞在できる岡山の実家に帰ろうと決めて

車で新潟を通って3月13日に岡山に着きました

今、私が住んでいた川内村は全村避難で

村の人達はほとんど、牛を飼っている人や、

鳥を飼っている人は

どうしても離れられなくて、少しは残ってるんですけど

今、川内村は空っぽです

働き者の大工の親方も、春が来て種を撒きたいお百姓さん達も

狭い避難所や、ビジネスホテルでこの春を向かえています

今日、広島の街にバスに乗って入った時に、

あ、そっかって気がついて

ここは原爆が落ちた時に、やけどして亡くなった人たちは

私はもう後に生まれて話を聞いたから、そのひと達を被ばく者としか

認識してなかったけど、8月6日のその日まで普通に

そこに生活していた人なんだっていう事実に気がつきました

今、福島県で被災している人達も当たり前のように

自分の場所でささやかな幸せな日常を送っていた人たちが

自分たちの土地を、生活を離れています

またそれは、放射能は目に見えません

一見、自分が住んでた場所は、なにも風景がかわっていません

少しだけ屋根は落ちてたりするんですけども、変わってません。

その事実を認識することの難しさも感じています

人はお金がなくっても、土と水と空気さえあれば生きていけます

どんなに札束があったって、それだけじゃ、生きていけません

あたしたちの命を支えるものは、この大地と水と空気です

その一番大切な物を福島県の人達は奪われてしまいました

これから5年10年ずっと、長い間、どうぞ福島の人達に思いを寄せて

関心をもって、そして愛を送ってあげて下さい

それから、この教訓から、エネルギーシフトへの明るいエネルギーへ

変えていけるように、人が繋がって、

繋がることでしか力は生まれないと思います

みんなで繋がって変えていけたらいいなと思っています

廃炉アクションが去年始まって、私は廃炉を目指しながら

それぞれがいろんなことをやっていこうというのが始まって、

私はなにをしようかって思ったときに

イマジン、ジョン・レノンのイマジンっていう曲に

フラがあるということを知りました

私は、あ、これをやりたいと思って、

『アロハで廃炉』って名前をつけて

去年、福島の仲間たちと練習し始めました

のちほど、そのイマジンを踊らせて頂きたいと思います

★ここまで
posted by sugihaha at 19:05| Comment(0) | 資料(動画) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月10日

4月29日 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演

4月29日 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演



★小出氏の最新情報は以下にあります。

小出裕章 (京大助教) 非公式まとめ

京都大学原子炉実験所助教 小出裕章氏による情報
http://hiroakikoide.wordpress.com/

posted by sugihaha at 06:45| Comment(0) | 資料(動画) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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